【タスマニアのことがもっと知りたい!】タスマニアの基本情報【歴史編】

タスマニアについて

太古の昔のタスマニア島の生い立ちから現代まで。

タスマニアを巡る歴史をなるべく簡潔にまとめてみました。

”タスマニアの基本情報、地理・気候・その他編”とあわせて読んでいただくとタスマニア博士になれるかも。

タスマニアの歴史

太古のタスマニア~タスマニア島ができるまで

ロディニア超大陸からパンゲア超大陸

みなさんもご存知のとおり、地球上の陸地は太古の昔より離散と集合を繰り返してきています。

約11億年前にそれまであったほぼすべての陸塊が集まってロディニア超大陸が形成されました。
約6億年前になるとそのロディニア超大陸が分裂して前ローラシア大陸と前ゴンドワナ大陸とに分裂

その後も大陸の移動が続き、石炭紀(せきたんき Carboniferous period 約3億5920万年前から2億9900万年前 )後期には前ゴンドワナ大陸は北上して、赤道付近にあったユーメリカ大陸と衝突しパンゲア大陸の一部となりました。

ペルム紀(ペルムき Permian period 約2億9,900万年前から約2億5,100万年前 )に入るとパンゲア大陸はシベリア大陸とも衝突して地球上の陸地がほぼひとつのパンゲア超大陸になりました。

ゴンドワナ大陸

ジュラ紀(ジュラき、Jurassic period 約1億9960万年前から約1億4550万年前) 中期の1億8,000万年前頃になると、パンゲアは再びローラシア大陸とゴンドワナ大陸に分裂します。

*このジュラ紀というのは中生代(約2億5217万年前から約6600万年前 三畳紀、ジュラ紀、白亜紀)の中心の時代で恐竜時代の全盛期です。ジュラシックパークでおなじみの名前ですね。

その後ゴンドワナ大陸は現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸などを含む西ゴンドワナ大陸と、南極大陸、インド亜大陸、オーストラリア大陸を含む東ゴンドワナ大陸へと分裂していきます。

白亜紀( はくあき Cretaceous period 約1億4500万年前から約6600万年前 )に入ると西ゴンドワナ大陸はアフリカ大陸と南アメリカ大陸に分裂し、その間に大西洋が成立。東ゴンドワナ大陸はインド亜大陸及びマダガスカル島と、南極大陸及びオーストラリア大陸の2つに分裂しました。

タスマニア島

恐竜絶滅後、新生代(しんせいだい Cenozoic era 約6,500万年前から現代)に入ると南極大陸からオーストラリア大陸が分裂しはじめ北上を始めます。タスマニアもこの時、約4,500万年前に南極大陸から分裂してオーストラリア大陸と共に北上しはじめます。

ようやくタスマニア島が地球上に出現しました。

*タスマニアにはパンゲア超大陸から分裂してできたゴンドワナ大陸由来の動植物が残っています。この動植物のことをゴンドワナ要素と呼びます。

アボリジナルの到来

アボリジナルについて

アボリジナル(Aboriginal Australians)は約65,000年前から60,000万年前にユーラシア大陸から南アジアを通って、オーストラリアへやってきた人々のことです。

以前はアボリジニ(Aborigine)とも呼称していましたが、差別的な響きが強いなどの理由により、現在ではアボリジナルやオーストラリア先住民(Indigenous Australians)と呼称することもあります。
*注)以前タスマニアン・アボリジナルの人々の文化のワークショップへ参加した際、呼称について聞いてみました。彼女はアボリジニでもアボリジナルでもどちらで呼んでも問題ないとの認識でした。ただオーストラリア先住民(Indigenous Australians)とは呼ばないでくれ、といわれました。

アボリジナルとは、ヨーロッパ人が入植してくるはるか以前よりオーストラリアに居住していた人々のことです。

オーストラリア本土からの移動

そのころの地球は約70,000年前に始まった氷河期(最終氷期)の真っ最中。大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なり、海水を構成していた水分が蒸発して降雪し陸上の氷となったために、地球上の海水量が減少、世界中で海面が約120メートルも低下しました。

そのためオーストラリア本土とタスマニアの間のバス海峡は陸橋(Land Bridge 陸続きの状態になっていること)ができて歩いて渡ってくることが可能でした。

タスマニアン・アボリジナル(Aboriginal Tasmanians)の人々は、その陸橋を通って約42,000年前から40,000年前にオーストラリア本土から、現在のバス海峡を歩いてタスマニア島へ渡ってきました。(タスマニアン・アボリジナルがタスマニア島へ来たのは約60,000年前だという説もあります。)

約10,000年前に最終氷期が終わると、各地の氷河、氷床、陸上の氷が溶けだし海水面が上昇していきます。

約8,000年前にはバス海峡の陸橋は消滅してしまい、オーストラリア本土との間は往来ができなくってしまいました。

以来、タスマニアン・アボリジナルの人々はヨーロッパ人が入植してくる18世紀後半から19世紀初頭までの長い間、外部と隔絶した生活を送っていきました。

タスマニアン・アボリジナルについて

ヨーロッパ人が入植する以前のタスマニアン・アボリジナルの総人口は3,000人から15,000人と考えられています。

アボリジナルの人々は海産物や陸上動物、野草や木の実などを狩猟、採集して生計を立てていました。そのため季節ごとに食べ物のあるところへと移動する生活をしていました。

タスマニア中には9つの部族があり、それぞれの部族はいくつかの一族を含んでいて、全体では60以上の一族があったようです。

9つの部族は、オイスターベイ(Oyster Bay)、ノースイースト(North East)、ノース(North)、ビッグリバー(Big River)、ノースミッドランド(North Midland)、ベンローモンド(Ben Lomond)、ノースウエスト(North West)、サウスウエストコースト(South West Coast)、サウスイースト(South East)に分かれていました。

ヨーロッパ人の入植

最初のヨーロッパ人

1606年にオランダ人がオーストラリア大陸の北の端、ケープヨーク半島(Cape York Peninsula)に上陸。その後オーストラリア大陸は”New Holland”と名付けられ、17世紀をとおしてオランダ人たちがオーストラリア大陸の西海岸と南海岸を探検していきました。

その探検家たちの一人であるエイベル・タスマン (もしくはアベル・タスマン Abel Tasman)はオランダ東インド会社(Dutch East India Company)に依頼されて、その当時に信じられていた未発見の南半球にある大陸、テラ・アウストラリス(Terra Australis)をさがして航海していました。

彼は1642年11月24日にタスマニア西海岸に到達します。彼はこの自分の発見した土地に対し、当時のオランダ東インド会社総督アントニオ・ヴァン・ディーメンに因んだ名前、ヴァン・ディーメンズ・ランド(Van Diemen’s Land)という名を付けました。

その後エイベル・タスマンは現在の州都ホバートの南、ブラックマンズベイ(Blackmans Bay)に上陸、タスマニアへやってきた記録に残る最初のヨーロッパ人になりました。

エイベル・タスマンはタスマニアの東海岸を北上して東北端のエディストーンポイント(Eddystone Point)へ到達。そこから西方へ航海を続けようとしましたが、”吠える40度”(Roaring Forties)で有名な西から東へ吹く卓越風に阻まれ断念。かわりに東へ向かい、その後ニュージーランドへ到達しています。

英国とフランス

エイベル・タスマンがタスマニアに上陸してから一世紀以上たった1772年、今度はフランス探検隊が、その翌年には英国探検隊がタスマニアに上陸します。

1777年には有名な英国探検家キャプテン・ジェームズ・クック(Captain James Cook)がアドベンチャーベイ(Adventure Bay)に上陸しています。

英国の植民地へ

1798年にはクジラとオットセイ猟の基地がタスマニアの島にできています。

そのころフランス探検隊はオーストラリア南岸地域をさかんに探検していていました。 フランスが島の領有権を主張してくるのを未然に防ぐ目的で、1803年8月に英国はダーウェント川(Derwent River)の東側リズドン入り江(Risdon Cove)に囚人たちを連れて前哨地を築きます。

その数か月後の1804年に入ると英国は現在のホバートの地(サリバンズ入り江/Sullivans Cove)へ、更に人数を増やした入植民(囚人)を連れてきました。

その後英国は各地に入植地を広げていき、タスマニアは英国の植民と流刑の島へとなっていきました。

アボリジナルと入植者

タスマニアン・アボリジナルと入植者たちとの軋轢

タスマニアへ英国人たちが入植してくると、それまで独自の生活をしていたアボリジナルたちとの間に争いが生じだします。

入植者たちはアボリジナルたちの狩猟場だったところにも農場や牧場を作りだしました。

アボリジナルたちが今まで自由に狩りをしていた場所に突然柵が設けられ立ち入りが禁止されてしまったり、アボリジナルたちが生活していた場所から強制的に排除されたりもしました。

アボリジナルと入植者たちの衝突は、入植者たちが1803年に最初の前哨地を築いた直後から始まっているのです。

ブラック・ウォー

タスマニア(当時はヴァン・ディーメンズ・ランド)の入植者人口は1824年には12,600人までに膨れ上がっていました。

以前よりあったアボリジナルと入植者たちの衝突はこのころになると激しさを増し、広範囲な地域で起こるようになりました。アボリジナルたちは入植者たちへ攻撃し、入植者たちもまたアボリジナルへ攻撃を仕掛けていきました。

この1820年代中頃から1832年までの衝突のことをブラック・ウォー(Black War)と呼んでいます。

この期間の死者数アボリジナルが900人弱入植者側が200人強と双方合わせて1,000人以上の人が犠牲になりました。

ブラック・ライン

1830年10月7日に入植者たちは、兵士、入植者、囚人など総勢2,200人で隠れているアボリジナルたちを追い込む作戦、ブラック・ライン(Black Line)を敢行します。

入植者たちは動員した人数で300キロメートルを超える長さの前線を作って、入植地を横切りながら北から南、西から東へと移動して隠れているアボリジナルたちを追い込み、入植者が設定したアボリジナルの保護地域であるタスマニア南東部のタスマン半島(Tasman Peninsula)へアボリジナルたちを収容しようと計画したのです。

しかしこの作戦は悪天候、侵入の難しい地形、不確かな地図などにより困難を極めました。また広大な前線を維持するには人数が足りず、アボリジナルたちは容易にこの前線から逃げることができたのです。

結局この作戦は10月25日に2名のアボリジナルを捕まえ、2名のアボリジナルを殺害したのが入植者側の最大の成果で、11月26日をもって中止となりました。

アボリジナルの降伏

ブラック・ライン作戦は失敗に終わりましたが、一連の衝突によりタスマニアン・アボリジナルの人口は300人程度まで落ち込んでしまいました。

アボリジナルたちには次第に入植者たちへのあきらめムードが広がっていきます。彼らの入植者たちへの攻撃は日に日に少なくなっていきました。

1832年、ついにアボリジナルは降伏しました。

1832年1月に戒厳令が取り消され、1832年5月28日には捕獲されたアボリジナルの人々に対する報奨金は廃止されました。

タスマニアン・アボリジナルのその後

その後、アボリジナルたちはタスマニア本島の北東にあるフリンダース島(Flinders Island)へ強制移住させられます。

彼らは入植者たちの持ち込んだ病気などに罹患して、人口が更に減少してしまいます。

1847年になると生存者47名のアボリジナルたちはホバート南部のオイスター入り江(Oyster Cove)へ移送されます。

オイスター入り江の施設では住居と食事はフリンダース島よりもよかったようです。それでもそこは元囚人施設ということで、劣悪な環境に変わりがありません。

その後もタスマニアン・アボリジナルの人口は減り続けます。

1873年、オイスター入り江の最後の生存者 トルガナンナ(Truganini)はホバートへ移送されます。

そして、100%純血のタスマニアン・アボリジナルのトルガナンナは1876年に永眠しました。

ヴァン・ディーメンズ・ランドからタスマニアへ

ニューサウスウェールズからの分離

ヴァン・ディーメンズ・ランドは、もともとニューサウスウェールズ植民地(New South Wales)により管理されていました。

1825年12月3日、ヴァン・ディーメンズ・ランドはニューサウスウェールズ植民地より分離してオーストラリアで2番目に古い植民地政府を宣言しました。

タスマニアへの改名

ヴァン・ディーメンズ・ランドは囚人の流刑地として英国及びニューサウスウェールズからの囚人を受け入れてきていました。しかし以前より囚人受け入れに反対する住民なども多く、1853年に囚人受け入れを停止。

1830年代から1853年までに送られてきた囚人の数は75,000人もいました。

この1853年はヨーロッパ人入植50年の節目の年でもありました。囚人受け入れ停止とあわせてホバートとローンセストンではフェスティバルなどでお祝いをしたそうです。

1856年、ヴァン・ディーメンズ・ランドはその名前をタスマニアへ変更し、タスマニアとして2院制議会が設立され大英帝国の自治的植民地の地位を確立しました。

オーストラリア連邦の一員へ

1901年にタスマニアは他の5つのオーストラリアの植民地(ニューサウスウェールズ、クイーンズランド、サウスオーストラリア、ビクトリア、ウェスタンオーストラリア)と結合してオーストラリア連邦を形成。

これによりオーストラリアは英国の植民地から独立国家となり現在に至ります。

タスマニアについて
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